Month: September 2022

【ぶらり #94】豊後竹田(大分県)天然要塞の城下町・豊後の小京都 Beautiful Natural Fortress the Oka Clan Castle Town | BUNGO TAKETA

【ぶらり #94】豊後竹田(大分県)天然要塞の城下町・豊後の小京都 Beautiful Natural Fortress the Oka Clan Castle Town | BUNGO TAKETA

険しい九州アルプス山中の小京都「豊後竹田」。周囲を山々に囲まれた天然の要害の城下町であり、また古くから交通の要衝で現在も3つの国道や県道に主要地方道がいくつも合流しています。
竹田の町は周囲を切り立った断崖のような山に囲まれ、中心市街へは必ずトンネルを通り橋を渡らなくてはアクセスできまません。難攻不落と言われた城下町はまさに自然の芸術品の中に築かれた箱庭のような小京都です。

戦国時代、薩摩島津氏の豊後侵攻に対し孤立化したキリシタン大名志賀親次は、わずかな兵で城に立て籠もって死守、岡城を難攻不落の名城として一躍有名にしました。岡城は竹田を流れる玉来川・大野川・稲葉川の合流する断崖絶壁の上に建つ要害堅固の山城で別名「臥牛城」の名をもちます。
この豊後竹田出身の作曲家滝廉太郎の代表作「荒城の月」の荒城とは難攻不落で知られた岡城のこと。中世にこの地域を支配した緒方氏によって城が築かれ、志賀氏の時代に城下町が整備されました。

志賀が整備した当時の城下町・町人町は挾田・十川と現在の市街地のある東側にありましたが、江戸時代に7万石で入封して成立した岡藩主中川秀成は、現在の竹田支中心市街であるこの場所に新しい城下町を移転建設します。全国に「小京都」と呼ばれる場所は数多くありますが、この城下町はまさしく京都を模して建設され、町は碁盤の目に区画されました 。岡藩中川家は13代続いて明治を向かえます。豊後の小京都と呼ばれた竹田でしたが、明治の西南戦争で戦場となり竹田の城下町は消失し、「臥牛城」の名をもつ岡城も荒城となってしまいました。

【誤植訂正】豊後竹田は「ぶんごたけだ」ではなく「ぶんごたけた」と濁点が無いのが正解です。
動画中の英語名のスペルは間違えて表記してしまいました。

【目次】
00:00 オープニング
01:55 廉太郎トンネルから上町通り
04:08 田町通り
07:34 魚町通りから下本町通り
09:58 新道通りから古町通り
11:56 竹田橋からJR豊後竹田駅
12:37 神明社から正覚寺
13:55 八幡川横丁から本町通り
16:07 殿町武家屋敷通り
18:49 竹田郵便局から廣瀬神社
21:32 トンネルを抜けエンディング

【撮影・編集雑記】
熊本県との県境に近い内陸の町「竹田市」ですが、中九州自動車道が整備された為大分市内から1時間くらいでアクセスできるようになりました。前日の昼頃に一度市街地を一通りロケハンして翌朝早朝の撮影に望みました。昨晩は少し雨が降ったので霧の竹田を期待したものの、見事に晴れていました。日の出の空撮は露出の変化が激しい為、ドローン撮影ではあらかじめNDフィルターを装着して飛ばして感度を上げて撮影しましたが、ISO800くらいになると粒子の荒れが目立ってしまい、さらにカラーグレーディングでLUTをあてると更に荒れてしまい、その点で一つ学びました。カメラはSONY α7SIII、レンズはVoigtlander SUPER WIDE-HELIAR 15mmの組み合わせです。

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撮影機材
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メインカメラ:SONY α7SIII  <a Continue reading →